岩手博物界の太陽 鳥羽源藏先生ってどんなひと?

 

1月13日(土)陸前高田市立博物館にて「岩手博物界の太陽鳥羽源藏先生ってどんなひと?」を開催!

 

今回は、昨秋に完成した“みんなでつくったたかたの教科書”の発行記念企画第3弾として、理科のページに掲載の小友町出身の”鳥羽源藏”先生について深く学んでいきました。

 

陸前高田市内では言わずと知れた”鳥羽源藏”先生。

あらゆる分野に精通し、岩手の博物学に大きく貢献しました。

そんな源藏先生は、いったいどのような方だったのでしょうか。

 

今回は、陸前高田市立博物館学芸員の熊谷賢さんを講師に迎え、源蔵先生の業績や人柄、各界の偉人との交流などについて詳しく教えていただきました。

 

◆知の巨人 鳥羽源藏

明治5年(1872)気仙郡小友村(現・陸前高田市小友町)で源藏先生は生まれました。幼いころは病弱で、体を鍛えるため野山を歩きまわることを勧められ、そのことが自然や動植物などへの関心を高めたと言われています。

 

源藏先生の驚くべきは、その研究分野の広さ。

昆虫学、植物学、考古学、地質学など自然、人文科学のあらゆる分野に精通し、発表した文献は162編、指定・保存に関わった県内の国指定史蹟名勝天然記念物も数多くあります。

また、日本貝類学会設立の発起人としても名を連ね、新種の発表や献名された貝があるなど、日本の貝類学の発展にも貢献しています。

 

熊谷さんには業績についてざっと解説いただきましたが、みなさん研究分野の広さに驚いていた様子。メモを取りながら真剣にお話を聞いていました。

 

そんな源藏先生の人柄といえば、研究熱心そしてとてもユーモアな方だったようです。

岩手県師範学校(現・岩手大学)で教員をしていた際の源藏先生の授業は、黒板に書く巧みなスケッチとユーモアに溢れた授業が学生たちにも好評で、時折ちょっとエッチな話も交えていたのだとか。

写真の真面目そうなイメージとは違う意外な一面ですね!

 


◆宮沢賢治や牧野富太郎との関わり

多くのことに興味を持ち、それらを突き詰め、各分野の第一人者から教えを乞い、さらに研究を深めていった源藏先生。

その関わりは博物界にとどまらず各界に及んでいたようです。

 

作家 宮沢賢治もその一人で、賢治作品にはたびたび源蔵先生の研究成果が登場しています。

童話 猫の事務所では ”トバスキー”や”ゲンゾスキーニ” と、明らかに源藏先生を連想させるものも!

お話を聞いていると、賢治は源藏先生のことがとても好きだったのだなと感じました(^^)

 

また、朝ドラでも話題となった日本植物学の父 牧野富太郎とも深い関わりが。

明治34年から牧野博士について植物分類学の学んでいましたが、その指導の中で牧野博士は源藏先生の研究に対する姿勢に尊敬の念を感じ取っていたといいます。残されている手紙の内容からも、数々の調査の依頼や自宅に泊めてほしいなど、二人の間に信頼関係があったことが分かります。

 

源蔵先生の研究に対するひたむきな姿勢が、各界の第一人者に信頼され、多くの業績を残すことにつながったのではないでしょうか。

 

後半は、展示資料を見ながら解説をいただき、実際に見て触れることで深い学びの時間になりました。 


せっかくなので、源藏先生の展示ブースにて集合写真📷

 

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今回は地域の偉人、岩手博物界の太陽と呼ばれた”鳥羽源藏”先生について、詳しく知る貴重な機会となりました。

全てを知るには講座の時間だけでは足りないほど・・・(^-^;

その業績の多さに、みなさん改めて偉大さを実感していたようです。

 

陸前高田の豊かな自然が、源藏先生のあらゆる分野への興味を駆り立てたのではないでしょうか。

また、源藏先生は各分野の後継者の指導や育成にも力をいれていました。

この偉大な功績をしっかり後世に残していくことで、また新たな研究者が陸前高田から生まれるといいですね!

  

鳥羽源藏先生についてもっと知りたいという方は、ぜひ陸前高田市立博物館に足を運んでみて下さい♪