たかたをもっと知り隊員:國友
2023年秋に発行した「みんなでつくった たかたの教科書」の社会では、各地区の特徴、歴史や文化を簡単に紹介しています。ページを見ていくと、ほとんどの地区に文化財が記されていることに気がつきました。
気になってさらに調べてみると、陸前高田市には多くの文化財があることがわかりました。
陸前高田市には、県指定の文化財13件(有形文化財12件、無形文化財1件)、市指定の文化財44件(有形文化財28件、無形文化財16件)あります。また、令和5年3月には「陸前高田の漁撈用具(3028点)」が、国重要民族文化財に指定されました。これらは三陸沿岸のなりわいを知る地元の財産であり、震災で被災してしまいましたが地元漁業者や関係機関の協力のもと救出、そして修復され文化財として指定されています。
数ある文化財の中で、私が気になったのは「民俗芸能(郷土芸能)」。
その中でも、今回は市内の無形民俗文化財の中で一番長く続いているという「舞出鹿踊(まいでししおどり)」にスポットをあて、調査しました!
◆鹿踊ってなあに?
踊り手の一人一人が鹿の頭部を模した被り物を身に着けて、歌い、踊る様式が東北地方で多く見られます。
人が死んで霊になる時、怨霊(悪い霊)となってこの世に大きな災害や悪い病気を広めるなど様々な災いを起こさないようにするため、霊を踊りに巻き込みながら、太鼓や鉦(かね)で村の外に追い出すという意味を込めて踊られるようになったものと言い伝えられています。(諸説あり)また、鹿踊りの“シシ”とは獅子でも鹿でもなく、田畑を荒らす野獣の総称であり、野獣の中でも鹿が生活の中で身近だったため鹿供養の意味もあったと考えられているようです。
◆舞出鹿踊ってどんなもの?
舞出鹿踊は、今から230年以上前の1784(天明4)年、東磐井郡大原村(現・大東町)山口又助が、舞出地区に伝えたことが巻物として残されています。
その後、1800(寛政12年)年に山口喜左衛門(山口又助の息子と言われている)が、生出地区や新田地区に伝えたと言われていますが、現在残っているのは「舞出鹿踊」と「生出鹿踊」のみとなっています。
鹿踊にはいくつか流派があり、陸前高田で広まっているのは「行山流山口派」と言われています。
“山口”は、大東町山口地区。
“行山”は、鹿踊りの歌を歌いながら庭掃除をしていた人を伊達公が見て、
「げうさんなり(ぎょうさんなり)」(上手だ)
と褒めた事からと言われています。
このことをきっかけに、伊達の紋章を使用する事を許され、衣装には紋章があしらわれています。また、白足袋の使用も許されているそうです。
◆踊りや歌
ここで少しだけ鹿踊の踊りや歌について説明したいと思います。
基本の舞出鹿踊の演目は、渡拍子(わたしびょうし)、打込み(ぶっこみ)、入れ羽、太鼓の調べ、一人狂(ひとりぐるい)、 二人狂、三人狂、鹿の子、寄せの順に披露されますが、その時の時間や場に合わせて、順番や披露する踊りを増やしたり減らしたりすることがあるそうです。
≪舞出鹿踊 踊りの例≫
・渡拍子(わたしびょうし):踊り手が動くときに鳴らす太鼓
・太鼓の調べ:太鼓を打ちながら踊る
・打込み(ぶっこみ):踊りながら移動する。
・入れ羽:入れ羽のほめ歌を歌う。歌は3種類あるため、状況に合わせて歌を選ぶ
・一人狂(ひとりぐるい):1人で踊る
・二人狂:2人で踊る
・三人狂:3人で踊る。
・松島:3人で踊り、女鹿の表現がある
・八人狂:8人で踊る。
・鹿の子:複数の歌がある為、その時の状況によって歌を選ぶ
・寄せ:終わりの事
※ 一人狂以降の踊りは、鹿が戯れる様子を表しているとされています。
2019舞出鹿踊(清滝神社五年祭) 出典:東北文化財映像研究所
そのほかにも、猟師の鉄砲の音に驚き仲間を気にかける様子を表す「鉄砲踊り」、鹿が案山子に驚いたり、やっつける様子を表現している「案山子踊り」があります。
●歌について
歌詞は短歌形式で、基本的に褒める内容になっており、舞う場所(一般家庭、寺院、神社、他の村)によっても歌詞が変わります。
歌い方は非常にゆっくりで「参り来て…」と歌う場合、「まあ……う……い…」というようになり、一つの歌を歌い終えるのに2、3分かかるそうです。
【歌の例】
<入れ羽の続きの歌>
秋風はそよりそより吹くならば
今年は稲穂は八穂で八石
八穂で八石とるならば
これのお庭に倉は七並み
<三人狂>
これのお庭にできし女鹿男鹿
遊べ友達、遊べ友達
天竺の君がくずれしかかるとき
心静かに遊べ友達遊べ友達
<案山子踊り>
あれに立ったは案山子か猟師か
御油断めされず打ちず打たれず
天竺の岩がくずれかかるども
心静かに遊べ友達、遊べ友達
歌や踊り、相手の良い所を褒めながら供養するという形態、案山子踊りの動きの面白さに斬新さと温かみを感じました。
最後に
今回、私が民俗芸能を取り上げたのは、地域の方と話している時に文化財の話(おしらさま、剣舞、虎舞など)を耳にすることがあり、現代でも地域に深く根付いている事に驚いた事がきっかけでした。 また、陸前高田市立博物館で文化財についての展示を見た際、文化財を調べる事が陸前高田を知るための大きなヒントになるのではないかと思い調査を始めました。
調査の中で、東北文化財映像研究所の方から「横田地域はそれぞれの年中行事に合わせてそれぞれの民俗芸能が役割を果たしており、全体の芸能の均衡のとれた継承発展が地域づくりの要になります。」と教えていただき、改めて民俗芸能が地域にとって大きな存在であり、地域コミュニティを築いたり、深めていく要素もあったのだと感じました。
また、今回鹿踊りの調査を進めるうえで、舞出鹿踊保存会会長の松田恒雄さんにお話を伺いました。
民俗芸能の継承には、継承者の高齢化、後継者不足などの課題があります。
そういった課題について、松田さんは「なくなるのはやむを得ないこと。地域の人が残したいと思えば、自ずと残っていくもの」だとおっしゃっていました。
地域の暮らしに密着し、地域の個性を表しているともいえる民俗芸能。
実際にお話を伺い、民俗芸能の存続が非常に難しいものだと感じる一方、消滅してしまうことは、地域の個性が失われていくようで寂しく思いました。
今回の調査を通じて民俗芸能に触れたことで、地域の歴史、暮らしや文化を知ることができました。
調査にご協力いただいたみなさま、ありがとうございました!
≪調査協力≫
舞出鹿踊り保存会 会長 松田恒雄 様
≪参考文献≫
陸前高田市史 第6巻民族編(下)陸前高田市史編集委員会編
岩手県市町村地域史シリーズ13 陸前高田市の歴史 岩手県文化財愛護協会編 細谷敬吉 細谷英雄 共著
≪映像出典/写真提供≫
東北文化財映像研究所 / 佐藤きみえ 様